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『類は友を呼ぶ』から見る、自分の心理と長く一緒にいられる人とは?

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引きこもりフリーランス、セトセイラです。
 
私が以前書いてなかなか反響があった『女たるもの、可愛くなりたい!!ブスに人権はない。』という記事でも少し触れたネタだが皆さんは『普段どんな人が自分の周りには多いか』なんて事を考えた事はあるだろうか。
 
 
もちろん、表層的な部分で寄ってくる人ではなく自分が長く付き合い続けてる人だ。実は自己分析をする際に、私は今自分の周りにいる人を見るようにしている。
 
『類は友を呼ぶ』ってことわざがあるけれど、どういうことなのか。そもそも、一緒にいられる人とはどういう人の事なのか。今回はそんな事について考えてみようと思う。
 
 

・あなたは本当の友達と呼べる人はいますか?

 
 
「私という人間はそもそも友達が少ない。」
 
 
そんな言い方をすると、性格に難ありというような語弊が生まれそうだが、じゃぁその、友達って何?って話だ。
 
 
もちろん、ここで言う友達とは気軽なものではなくいわゆる『本当の友達』の事。友達の定義は、各々にそれっぽい答えは持っている人もいるだろうがその定義は論破できるものばかりではないだろうかと思う。
 
 
例えば、
 
 
A.「友達とは一緒に出かけたり、愚痴を言い合う存在だ」
 
→一緒に出かけたり、愚痴を言える人なら何でもOKなのか。仕事の上司や部下はそのような関係になり得るがそれは友達なのか。
 
 
A.「何でも話せる存在だ」
 
→何でも、とは自分の貯金額や、床事情、に至るまでの話か。違うなら、その線引きはどこにあるのか
 
 
A.「気軽に誘える存在だ」
 
→気軽に誘えるという問題は、本人の問題であり、仮に私が今気軽にお誘いしたらその瞬間から友達なのか
 
 
など、だいたい上がってくる答えは相手、もしくは自分の環境の変化と共に成立しなくなる可能性が高い。そんな中で、私が『友達』と呼んでいる人はなぜずっと仲良しなのかうまく説明ができない人達だ。どんなに頑張っても、分からない。
 
 
だから、一先ず、なぜ仲が良いのかうまく説明できる人達の事を私は『知り合い』もしくな『最近仲良しな人』という認識をしている。
 
 
あなたにとって、『本当の友達』という認識をしている人はどれくらいいるだろうか?
 
 

・友人と大喧嘩した話

 
「貧乏人のメンタルに本当の意味で寄り添える事は一生ない」
 
 
以前私は高校時代の友人とこんな話題で盛り上がった。実は、私は所謂お嬢様育ちだ。人によっては、この発言にもしかしたら何やら不穏な気持ちを抱く人もいるかもしれないが少し待ってほしい。
 
中学から私立の学校に通い、そんな中で、在学中に海外研修などにも行かせてもらっている。そしてこれは余談だが、私の母校の挨拶の主流は『ごきげんよう』の世界だ。
 
 
そんな高校時代の友人との会話で「貧乏人のメンタルに本当の意味で寄り添える事は一生ない」という会話は「分かるわー」という共感の嵐だった。
 
 
しかし、私が先日ふとした瞬間にこの話を別の友人にしたところ大炎上してしまったのだ。予め言っておくが私は、そもそもその友人の事を否定したつもりも全くなく、当初何故怒っているかが全く分からなかった。多分、先ほど「貧乏人のメンタルに本当の意味で寄り添える事は一生ない」という言葉を聞いてイラっとした人は同じ気持ちなのではないだろうか。
 
 
その友人は、かなり苦労をして生きてきた人だ。ものすごい、尊敬をしている。そして、私は『類は友を呼ぶ』という言葉は本当だと思っているのでむしろ近しい感覚さえ抱いていた。
 
 
その後、話し合いの結果、誤解によるものだと解明された。
 
 
その理由、とは、会話のベースが『過去の話』『未来の話』かというブレによるものだった。
 
 
 

・自分と一緒にいる人は、どんな人?

 
 
『過去の話』と『未来の話』と聞いて「?」を浮かべる人は多いだろう。『類は友を呼ぶ』という昔ながらの言葉があるがその言葉はまさしくその通りだと思っていて、今、自分の周りにいる人達は全て自分の鏡である。
 
 
以前『女たるもの、可愛くなりたい!!ブスに人権はない。』の記事にて似たような見解を書いているのだが、
 
 
努力している人は努力する為の環境をつくる為に努力する人同士で集まる傾向にあるし、のんびり生きたいと思っている人は同じくのんびりとした人達で集まる傾向にある。
 
 
以前書いた記事を例え話とするなら、
 
 
美人の友達に美形が多いのは、普段から美に対する努力をしている為、刺激され、理解し合えるからである。反対に美に対する努力をしてない人の何気ない「ダイエットしたいけど運動したくないし毎日ジャンクフード食べたい。どうせ、私可愛くないし。」などと悪気なく言う人と一緒にいると、自分の努力を馬鹿にされている気分になりやすいから道理なのだ。
 
 
しかし、ここで注意しておきたい事がある。それは、『類は友を呼ぶ』という言葉は、必ずしも過去や現在の結果の話ではないという事。どちらかというと、この人と一緒にいるとメリットがあるかどうかというところが重要ではないだろうか。
 
つまり、どういうことかと言うと、私と友人の話で言うと
 
「貧乏人のメンタルに本当の意味で寄り添える事は一生ない」というのは、幼少期に貧乏を経験した事がない私にとって貧乏は脱出したい現実である(※現在夢追い人にて、絶賛貧乏中)。
 
 
その為、現在貧乏である人もしくは、貧乏な家庭で育った人とは付き合えないという話では全くなくて『これから先、普通~お金持ちになりたいと思っているかどうか、もしくは続けたいか』が重要なのだ。
 
もちろん、これは貧乏な人を否定する言葉ではなく、自分の人生における優先順位の話であり『好きな事の為なら貧乏を良しとする人』はそれはそれで尊敬はするが、私の中で人生において譲れない優先順位の為、時間を共有するのは難しいという話だった。
 
これは、分かりやすく私のように夢を持っている人でも多くの人に当てはまるのではないだろうか。長く一緒にいられる人というのは『これだけは譲れない』というポイントで同じ方向に共感できるかどうかがキーだろう。
 
 
そしてこれは、イコール自分の事を知れるチャンスでもある。今、自分の周りにいる人達を見れば自己分析がとてもしやすい。
 
 
・周りにいる人達は何を幸せと思っている人達なのか?
・自分の周りにいる人達は何を大切にしている人達なのか?
 
 
一緒にいて心地良いと感じる人を分析すると、そこに、自分が譲れないものの正体が隠れている。ちなみに私にとって、それは『現状打破』だ。逆に言うと、なりたい自分の理想像から逆算して、自分の理想に近い人に囲まれる事によって身の回りの環境から自分の理想へと近付く事ができる。
 
 
そして、今の自分のレベルを知る為に『どんな人達に求められ、どんな人達に相手にされているか』という事を、こまめに自分の周りの人達を振り返る必要がある。
 
 
ちなみに、他人を見る時おおよそ普段どんな人と親しくしているのかによっておおよそな人柄を判断する、ソースともなり得るので観察すると面白いだろう。その為、自分の身の回りの人の悪口ばかり出てくる人は要注意だ。
 
 

・まとめ

 
なんとなく、気があう。意気投合する。なんて言葉で片付けられがちの人間関係だが、その実態は、互いにメリットがあるかどうかがキーになってる。ビジネスにおいては『当たり前』だと思う人は多いかもしれないが、それはプライベートでも全く同じ事だ。
 
もしかしたら今現状に不満がある人は、自分の今いる環境が、合っていないという説もあるかもしれない。良好な人間関係において最も重要なのは向いている方向が同じかどうか。
 
 
『類は友を呼ぶ』から見る、長く一緒にいられる人とは『自分の人生における譲れない』もののヒントであり、移り変わる周りの人とは『今の自分の深層心理』の鏡ではないだろうか。
 
皆さんも是非『類は友を呼ぶ』という言葉を今一度思い出し、こまめに自分の身の回りにいる人を観察してみてはいかがだろうか。
 
 

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