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『いじめ』はどこでもおこる

今朝、目の前で私の落としたPASMOがトラックの風圧で一瞬で飛ばされ消えました。セトセイラです。
 
 
 
突然だけれども、私はコミュニケーションについてかなりの興味がある。今思えば、私がコミュニケーションに興味を持つきっかけは幼少期に受けていたいじめだ。私は、どこに行ってもいじめられっ子だった。小学校の時親友のように仲の良かった女の子がある日突然「わたし、せいらちゃんのことあきた」という言葉をスタートにいじめられたのが私の最初のいじめ。以来、私は進学塾でも、小学校でも、中学校でも、高校でも人から嫌がらせやいじめを受け続けていた。大体の人は小・中・高という期間に各々の価値観の輪郭が見えてくる。私はそんな時に人間関係を拗らせてしまった人間だ。
 
 
いじめって、なんだろうね。今日はそんな話。
 

・いじめに理由はないけれど、ターゲットになりやすい原因はある

 
 
 
いじめには理由があるのだろうか。この議論は「いじめられる側にも原因はある」派と、「理由はない」派と色々な意見を耳にする。
 
 
正直そんなのはどっちだっていい。いじめられる側に原因があるからと言ってそれを正当化していい理由にはならないし、いずれにせよ結果は同じだ。そんな事を言い出したら、いじめられた子は、いじめっ子を『いじめられた』を理由にいじめていいとか訳のわからない話になってくる。
 
 
ただ、一つ言える事はいじめの始まりなんて本当にどうでもいい内容である事は確かだ。そもそもいじめる側の気持ちなんて考えない方がいいと私は思っている。世の中の出来事は正統化しようと思えば案外どこまででも正統化できてしまうのだ。そんな事があったのなら仕方ないね、なんて選択肢を増やしてしまうと人は簡単に悪に堕ちやすくなるので気をつけた方がいいのではないだろうか。
 
 
さてさて、とは言ってもいじめのターゲットになりやすいとされている層は大体決まっている。それは、その組織の平均値から良くも悪くも外れた人だ。それがもしかしたら、不細工だったり太っていたりかもしれない。人に媚びないタイプだったり、一匹狼タイプだったり。たまたま空気の読めない事を言ってしまっただけかもしれない。特に日本人は協調性を重視する。みんな一緒、が美学とされているのだろう。
 
 
もしくは、「みんな一緒だから怖くないね」の確認作業なのかもしれない。そんな「みんな一緒」からすれば良くも悪くも目立つ奴はターゲットにされる。そして、あまり反抗しないタイプだとなおいじめはエスカレートする傾向にあるだろう。
 
 
ちなみに、私の性格はこの両方を兼ねそろえていた。決して特定のつるむ友達はおらず、少し変わった、でも決して反抗しない。そんなタイプだったのだ。
 

 

・いじめの加害者はいじめだとは自覚していない

 
よく、いじめた側には「どうしてあの時あんな事をしてしまったのだろうか」なんて後悔しながら生きるという人がいるが、私はそもそもいじめた人は無自覚でやっている人も多いと思う。首謀者、ともなれば話は別かもしれないがいじめっ子はグループだ。『仕方なく』という正統化で無自覚でやっている人も多い。
 
 
そもそも、内容が例えば机に遺影を置いたり、机の中に生ごみを入れたりなどというレベルまでいくと違うのかもしれないが、いじめは何もそれだけではない。単純に組織内で無視をしたり、聞こえるように悪口を言ったりなど幅広い。特に前者のようないじめは誰が見ても明らかにいじめだと分かるぶん、逆に周りが黙り続けていない事も多いだろう。
 
 
しかし、後者の場合は一見、目に見えた証拠が残るような害がないぶん逆にたちが悪い。周りも加害者たちもいくらでも正統化できるのだ。だって、証拠がないから。それによって、本人もいじめている自覚がない人も多い。よって、誰も気づいてもらえないようないじめにあっている人は本当に多いと思う。
 
 

 

・そもそも、いじめとは

 
結局のところ、支配欲や過度な劣等感のある人や普段別のところでいじめにあっているなどのストレスを抱えている人はいじめっ子に堕ちやすい。
 
 
心理学で組織がまとまる為には共通の敵を作る事、というのがある。人は何かを一緒に楽しむよりは、共通の敵を作った方がその組織の中の誰もが最下位の位置にならないので仲良くなりやすい。これが、みんなで楽しい事となると、案外自分はみんなと違って大した脳力もないし・・・などとどこか不安の要素が残ってしまうのだろう。いじめる側は、孤独と承認欲求の塊なのだ。
 
 
 
 
アドラー心理学について詳しく書かれているサイトがあるのだが、そこでいじめられっ子へこんなメッセージを残している。アドラー心理学は、ざっくりいうと起きた問題は、何かしらの目的を果たすために行われているという考え方の心理学。(※とりあえず、今回はアドラー心理学の内容は関係ないのでおいておく)
 

自殺を選ぶ子は「困難を克服する活力」がなくなっているだけです。

いじめられている自分に「かわいそうな子」「情けない子」という世間のレッテルを”自分”で貼ってしまっているのです。

いじめられている人はかわいそうな子ではなく、組織の中で目立つ人だったり、他者に流されない強さを持っている人だったり、愛嬌があり周りからいじられるキャラクターだったりする人です。

いじめに苦しんでいる人たちは、決して「かわいそうな人」ではありません。所属する組織を変えればいいだけです。

自信をなくさないでください。

引用 アドラー.com 『自殺をする人の目的』

 

・いじめとゆとり

 
日本、という国の教育に私は甚だしい疑問も持ち続けている。先生、と呼ばれる人達はけして何か特殊な訓練を受けている人達ではない事は明らかだ。毎度毎度ニュースの記者会見で「いじめの事実はありません」「そのようなものには気付きませんでした」などというコメントを残している。一時、子供達の各々のいいところを伸ばす為にゆとり教育なるものを取り入れていたが、その結果は散々なものだと表すかのように「これだから、ゆとりは」なんて言葉が飛び交う程になった。
 
 
 
私はこのゆとりこそが、いじめの解決の一歩だったのではないかとあとから振り返ると思う。というのも、学校ではあまりに普通が絶対に正義だなんて価値観しか教えない。勉強ができない子がだめ、友達がいない子が心配。空気があまり読めないところがある。あまりに普通だ。人はもっともっと個性があってもいいはずなのにその個性をどんどん平均化していく。
 
 
 
先程話したように、いじめのターゲットはいつだって普通から良くも悪くも外れた子だ。知らず知らずのうちに『普通はみんな一緒、孤独じゃない』を植え付けている。もっと、みんなが個々にでも輝ける教育機関なら良かったのにとつくづく思う次第だ。そして、先ほどの話だが、ゆとり教育はしっぱいして当たり前ではないだろうか。だって、教えている組織や環境がすでに『普通が1番正義だ』という価値観を持っている人なのだから、そんな環境でのゆとりなど指導者がいない兵隊と同じだ。戦い方が分かるわけがない。
 
 

 

・結局のところ、いじめはなくならない

 
 
子供の時はただなんとなくでいじめは簡単に起きる。しかし、大人になれば今度は、空気が読めない人、仕事ができない人という人がいじめのターゲットになりやすい。どんな理由があってもいじめていい理由などない、なんていう人も振り返ってみると案外自分の周りに嫌いな人の1人や2人はいるだろう。そして、大体大人になると、嫌われる人は大体決まっている。
 
 
 
じゃぁ、本当に空気が読めなかったり、仕事ができなかったりする人はターゲットにされるべきなのだろうか。でもなんども言うか、大人になったらのはなしで思い当たる節がある人も多いと思うが、子供の世界にしろ大人の世界にしろ『普通』という正義から外れてしまった人には生きにくい世界だという話だ。子供の時はその幅が広かっただけ。それが、大人になったらピンポイントになってきたというだけの話ではないだろうか。
 
 
 
ちょうど、Twitterでこんなものが話題になっていた。
 

 
 
人間は誰しも居場所がないとだめになってしまう。その居場所の見つけ方が、うまくできない人が様々な方法で居場所合戦をするのだ。それがいいね!ボタンかもしれないし、フォロワー数かもしれない。恋愛依存かもしれないし、友達確認かもしれない。はたまた、それが自分よりも下を意識する事かもしれない。
 
 
 
承認欲求とは誰しもが持っている欲だ。でも、それ故に繊細な部分が狂いやすい。自分の事をちゃんと認めて、自分の事をちゃんと愛して、本当に好きな事を好きだと言い切れる世界が来ない限りいじめはなくならないのではないだろうか。
 

 

・『普通』に支配された『普通』の奴隷がもたらす世界

 
私の恩師でもある大好きな鴻上尚史さんは、いじめに関して『とにかく逃げなさい。学校なんて行かなくていい』なんて事をいろんなところで発言している。いじめの果てが自殺、という本当に悲しい事件が絶えず起こる世の中だ。
 
 
 
私が、いじめに苦しんでいた時、たまたま図書館でタイトルは忘れてしまったのだけれど、手に取った一冊の本がある。その内容は小中高生で、いじめが原因で自殺した子達の記録を集めたものだった。心臓が押しつぶされるような、言葉には表せないあの時の感情が未だに忘れられない。アドラーが言っている通り、死を選ぶのは死にたくてではなく生きる手段が分からないからとあるように、いじめにあった人にはいじめにあった人にしか分からないどうしようもない感じというものがある。
 
 
 
自分は透明人間にでもなってしまったのだろうか、と思ってしまう程に無視をされ、聞こえるように人格を否定させる言葉を浴びせられる。自分の私物を隠されたり、捨てられたり。親には心配かけたくないから、やたら嘘だけがうまくなっていって、その度にどんどん自分がどこにいるのか分からなくなる。自分の感情を凍らす事ばかりを考えるけどそんなにうまくもいかず、理不尽が募る世界で誰を頼っていいかも分からなくて汚れていく自分の心の汚い言葉も嫌になって。私、人間のできそこないなのかな、なんて考えたら涙が止まらなくて。あ、なんだ、感情生きてたんだなんて変なところで気付いたりするけど、もう何もかも八方塞がりになって。そう、逃げ場がなくなってしまうのだ。
 
 
 
世界を変える勇気も度胸もない、自分が変わるのも頭が悪いからどうしたらいいか分からなくなってしまう。そんな時には、もう環境を変えるのが最善だ。自分では脳が麻痺してしまって判断ができないから、気付いた誰かがそっと違う環境に連れ出すのがキーになるのかもしれない。周りの協力が必須だ。
 
 

 

・私が選んだ生き残る方法

 
私は強くなりたくて、自分を好きになりたくてお芝居と言う道を選んだのだ。現在、事務所に所属して女優タレント業をコツコツやりながらブロガーをやっている。お芝居で学んだ事をベースにコミュニケーション術を技術として身に付けることによって、今では一人旅が趣味でその先でコミュニケーションを駆使して交友関係を広げたり、お客さんと絡みありきのお芝居が得意だ。
 
 
 
私は正直なところ、今でもどんなに頑張っても根が引きこもりだしそんなに人と話す事を得意としない。コミュニケーションは、例え苦手だったとしても技術として覚えておけば仕事もプライベートも恋でも応用する事は簡単で、自分の世界を広げることができる。もっとがっつりとしたいじめに関する内容はどこかで記事にしたいと思っている。
 
 
 
私は自分の活動の女優・タレント・ブロガーなどを通してどこかの誰かが少しでも、何か得るものがあればいいなと思って一貫して前に進んでいる。
 
 
 
 

・今、いじめに合っている人へ

 
多分、あなたのいる世界は今とても狭い世界かもしれません。私がそうであったように、他の世界を知らないだけです。世界は広くて、あなたがいじめに合わない世界の方が圧倒的に沢山ある。
 
 
そして、あなたがけして駄目な人間だからいじめられているわけではありません。いじめられているという事実は人に話す事はとても怖くて、自分のそんな惨めな姿を見せたくないとか、迷惑かけたくないとか色々な思いがあると思う。
 
 
無理に話さなくても、私はいいと思うのです。でも、一つだけ約束してください。けして自分の事を嫌いになるような行動はしないでください。周りの人と同じようにあなたが、あなたを傷付けてしまった瞬間あなたは八方塞がりになってしまう。そして、いじめとは戦う必要はありません。
 
 
学校は必ずしも行かなくてはならないところではありません。あなたの親は、あなたが学校に行かない事よりも、あなたの事の方が大切なので大丈夫です。自分が今の状況の中で、一番行きたいところ行って下さい。
 
 
家族でも、おじいちゃんおばの所でもいい。何も言わずにずっと、その人の近くに行って下さい。ずっと、ずっと。答えたければ、答えればいい。言いたくなければ言わなくてもいい。
 
 
 
そして、泣いていいの。
 
 
怒っていいの。
 
 
憎んでいいの。
 
 
あなたが、あなたである事をけして忘れないで下さい。
 
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