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憧れの人なんて、永遠に越せないただの壁だ

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最近、人生3度目のモテ期を迎えました。セトセイラです。

突然だけど、憧れの人っている?

『憧れのあの人』という存在は日常の活力になるし、仕事に精がでるなんて人も多いのではないだろうか。

しかし、私は誰かのファンになんてならない方がいいと思っている。そもそも、オーディションや面接の度にお決まりのように「憧れている人はいますか?」なんて設問を設けてくるのも疑問だ。

その人の魅力はその人のものであり、自分の魅力は全く別の物だ。なぜ、いちいち他者と自分を比較しながら生きなければならないんだと私はいつも思ってしまう。比較できるものではない。

人生において、必要なのは憧れの人ではなくライバルなのではないかというそんなお話。

憧れの人とは、永遠に越せないただの壁


憧れの人、という響きは純愛のような美しさがある。

しかし、憧れのあの人なんて本当は存在しない方がいいと思っている。なぜなら憧れのあの人と認識してしまった人は、なかなか追い越せない存在になってしまうからだ。

憧れという感情は、盲目な恋の感覚と非常に近いものがある。

最初に受けた「この人、すごい!!」というような強い感情は脳内にしっかりと刻まれる。その上さらに憧れの人について何度も他の人に伝えたり、何度も脳内で情報をリプレイする。しかも、多くの場合どんどんと自分の都合のいい解釈が上乗せされていくので、憧れの存在は加速を上げて『最上級な存在』として脳内に住み着くのだ。

つまり、憧れの人とはあなたにとって永遠に越すことのできない壁だ。

ファンの心理の正体は、ただの現実逃避からくるもの

ぶっちゃけ爆弾発言をすれば、ファンという立ち場はすごく楽だと思う。

例えば、Twitterで言えばインフルエンサーと呼ばれるゆうこすや、メンタリストDaiGo、はあちゅうなど多くのファンを持つ人が存在する。

ファンという心理のスタートは『私もこんな風になりたい!』『こんな風に可愛くなりたい!!』という憧れが『好き』というとてもポジティブな感情に変換される。それがだんだんこの人のことをもっと知りたいのいう欲に変わり、好き→追いかけたい→好き→追いかけたいを繰り返してファンとなっていくのだ。

しかし、ここで冷静に考えてみてほしい。

ほとんどの場合、対象の人を直接知っているわけでも何でもない状態で『その人が好き(=ファン)』という決断を下すところからスタートしている。その状態で『私、〇〇さんのファンです!!』と自覚を持ち、人によっては世に公言したり場合によってはSNSなどで本人に『応援してます!!』と伝えたりなど自分の存在を出し始める。最近では、オンラインサロンも流行っているので憧れのあの人にコンタクトをとることのハードルは低いだろう。

では、これを恋愛に置き換えてみようか。

いつも電車の中で見かける人が気になって仕方がないとしよう。好きだという気持ちを何度も噛み締める。ポジティブな感情が湧き上がっているので幸福度が高いので、いつの日か『私、あなたのことが大好きです!!でも、一方的にそう思っているだけで満足です!!』という立ち位置をとるのだ。ここに相手からの反応は期待はしていない。もしも、アタックすれば100%付き合えるという前提があればまた行動も変わって来るだろう。

つまり、ファンという立ち位置は絶対に失敗しないと約束されているのだ。

え、ぶっちゃけこんなに楽な人間関係他にある?

行動には『失敗したらどうしよう』『間違ってたらどうしよう』『人から嫌われたらどうしよう』と多かれ少なかれリスクが伴う。ファンという立ち位置は自分から投げかけることはあっても、相手からの反応などなくてもいいというのが前提に行われている。もちろん反応があったら、嬉しいとは思っているだろう。しかし、ラッキーくらいの感覚だ。ファン活動にはリスクがほとんどいらないのだ。打ちっぱなしのボールと一緒。

余程のこと(家の住所を調べ上げて押しかける、失礼な事をする)がない限り相手から拒絶されることはないし、なんなら人にいいことをしたという実感を自主的に得られるので幸福度も高い。完結しているコミュニケーション(?)なので、自分がどう思うかが全てなのだ。

なんなら「対等に見てもらえないのが悔しい」「視界に入っていないの感じがむなしい」と思わないようにするために「自分なんかが恐れ多い」と思い込もうとしているようにさえ思う。

ファン心理は、ただの現実逃避だ。

 

人生において必要なのは仲間とライバルだ

もちろん、生き方にはよるが人生において必要なのは仲間と、そして憧れの人ではなくライバルだ。

ライバルだと思える感性は、「自分なんて」などと自分を必要以上に下げることなく物事を判断できている状態でないと発生しない。第三者という守られた立ち位置は、良いことも悪いことも思ったことを口にするだけなのでとても楽で無責任だ。人生なんて、第一者もしくは第二者として関われなければ成長なんてできない。

「この人、すごいな・・・」と素直に思ってしまった自分を自覚したら「自分には敵わない」と言う前に、ライバルとしてコツコツやってみるという選択をとれる人は幾つになってもキラキラと輝いている。最高にカッコイイ。

他人事ではなく、「自分も負けない!!!」と気軽に前のめりになれる人は、本当に強い。だから、純粋に「すごいなこの人」と心を動かされてしまった自分を自覚したら、まずは自分から逃げない。

人生に必要なのは、仲間とライバル。ただそれだけ。

 

自分から逃げない人生を歩む

努力はして当たり前、なんてことは絶対にない。

ただ、人に憧れてばかりの人生はあまりにも自分自身が可愛そうではないだろうかとふと思ったりもする。何も、ライバルとやらに勝つために偉人たちに対して、メラメラと心を燃やして激しい競争社会で消耗しろという話ではない。

隣の芝生は青いのではない、隣の芝生の本当の色など本人以外分からないのだ。だったら、自分の芝生がしっかり青いことを認識できる目を養いたい。

自分の人生を、歩く。あなたは充分に魅力的だ。

 

まとめ

人生において、憧れの人など必要ない。憧れの存在とは、一生超えられない壁である。

最初から超えられないと分かっている壁ほど楽なものはない。「途中まで、頑張ったよね」という慰めならいくらでも出てくるだろう。超えられる想像ができないものは、超えられる訳がない。

私は、嫉妬してしまう人がたくさんいる。ただただ「すごい」と思ってしまう。しかし、そんな彼らに憧れは抱かない。

どんなに、素敵な人でもそれはその人の魅力であり自分の魅力には成りえないのだ。だからこそ、そんな魅力に引きずられたくないのだ。誰よりも、自分自身のファンでいたいから。

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