この世で一番テンションが下がるのは飲み会です。セトセイラです。
私という人間はとても好奇心旺盛だ。
「どうして、この人はそういう風に思ったのだろうか?」
なんて事を考えるのが大好き。
ところで、『マウントを取りたがる人』と言えば大半の人は心当たりがあるのではないかと思う。
なかなかに付き合い辛い人種なので、多くの人が唸っているのではないだろうか。
というわけで、マウントを取りたがる人ってそもそもどんな心理構造をしているの?
という事について考えていきたいと思う。
- Twitterに疲れ果てた
- 職場の人間関係に疲れた
この記事はそんな人におすすめです。
あちこちに出没するマウント人
マウントを取る人に疲れた。悩まされる。悲しい気持ちになった。
・・・そんな人は多いのではないだろうか?
マウントを取るというとは、つまりこういう事。
まぁ。いるよね。いるよね。
言われた側は、突然の上から目線にびっくりするやつ。
しかも、これ論点がズレてません?的なのも混じってくるから余計に「それ、言いたいだけですよね?」と言ってやりたくなる。
・・・お気持ち、察します。
まぁ、でもせっかくなのでマウントを取るというのはどういう条件が揃うと心理的に陥りやすいのか気になりません?
だってさ、例えばTwitterに現れるマウント人なんて「・・・っていうか、お前誰?」という言葉を日本語のルールを無視して語尾に付けずにはいられない。
そもそも、全く関係のない人でも起こり得る心理なのだ。
これは、気になる。
めちゃくちゃ、気になる。
マウントを取る事のメリット
そもそも、本当の意味で凄い人や成功している人は仕事や自分のブランディング以外の理由でマウントを取る事はしない。
マウントを取る人は、常に自分のやる事リストの中で『人にマウントを取る』事の優先順位が高い。
というか、じゃなければ日常的にやらない。それほどまでにマウント取りにメリットを感じているのだ。
そのメリットとは、ただ1つ
自分のメンタルを安定させたいから。
言わないと気が済まないという状況は、つまり言わない状態だと心が落ち着かないのだ。
マウントを取るという行為は、相手の為を思って行われるのではなく99.9%自分の為に行う。
じゃぁ、なんでメンタルがそんな不安なんだ?という話だ。
マウントを取る人はこんな人
マウントを取りたがる人に共通する事はつまるところ、自分にどこか自信がないというところに尽きるだろう。
何故なら、言葉でマウントを取る以外に自分を示すものがないからだ。
本当の意味で自信がある人は、わざわざ自己申告をしなくても周りの人たちから沢山評価をされていく。
しかし、イマイチ自信がない人は周りからの評価も少ない傾向にある。
故に、本当は何者かになりたいのになれないという理想と現実の差が受け入れられず心がざわつきを感じ始める。
すると、一部の人達は現状を打破する為に自己申告で自分の価値を大きめな言葉で解決しようとするのだ。
要は、エリマキトカゲの要領。
「それくらい、俺でもできるよ」
「あなたの人生ダサいですねw」
「才能ないですねwwもっと○○した方がいいんじゃないですか?」
「自分も昔は○○だったなぁ。ちなみに自分は○○卒だよ。」
つまり、現在の努力や挑戦する事を回避し、今までは挑戦してきた(過去形)自分はその分野は専門ではないというような他人が調べようがないところから自身の承認欲求を満たそうとするのだ(この場合、実際に過去の栄光の場合もあるし虚言の場合もあるし妄想の場合もある)。
これがマウントを取る人の正体。
マウントを取る人は決まって『ダサい』『専門外』『やればできるけどやらないだけ』を言い訳に人生を生きてきた人だ。
傍観者でいる事によって、弱い自分を守っている。
一番労力がかからないからね。
例えて言うなら、太っている自分(現実)という立場からダイエットを成功して綺麗になった人に対して「痩せても、その程度のルックスなんだw」などとマウントを取り、自分が太っている事を正当化したりそもそもダイエットに興味がないなどと言い訳ができる状態をいつでも作っているのだ。
そもそも、本当にダイエットに興味がないならダイエットに成功した人の活動なんて全く視界に入るはずがないのに…。
男性の場合
男性は元々競争社会を生きる生き物だ。
男性ホルモンが強ければ強い程、競争心が強く攻撃的な傾向にあり上限関係をしっかりと築く。
これは狩猟時代からの名残と言われていて、男性の当たり前は縦社会な訳だ。
そんな男性社会の中で『何者にもなれなかった自分』という奴は、とてもいたたまれず必死に隠しているのかもしれない。
女性の場合
私の友人が『女性でメンヘラじゃない人は見たことがない』という名言を残していたが、女性は承認欲求が男性よりも強い傾向にある。
優しくされたい、ちやほやされたい、愛されたい(女性の三大欲求YTAと私は名付けたい。)
女性は多かれ少なかれ『女としての価値』というものにコンプレックスを抱いているのではないかと思う。
本当はありのままで充分素敵なのに、努力をしないと女として見てもらえないというスイッチが入ってしまいやすいのだ。
それが、向上心や仕事に向けばいいのだが常にうごめく劣等感故に人をマウントする事によって自分の価値を守ろうとする人は多い。
先日私のTwitterでマウントウーマンに絡まれたのだが、彼女のtweetを見させて頂いたところやはり愛されたい願望に溢れてた。
彼女のフォロワーは2人で、しかもその2人はステマ的なアカウントで明らかに友達ではないアカウントだ。
その中で『この度結婚する事になりました』という報告をしていたのがとても印象的だった。
意見を言うのとマウントを取るのは違う
これはとてもごっちゃにされやすいのだが、意見を言うのとマウントを取るのは違う全く持って別の行為だ。
マウントを取るという事の特徴はこちら
- 話の内容と全く関係のない事を言う、もしくは、そもそも話の論点がずれている
- 発言が感情的であり、理論的でない
- 明らかな知識不足な発言が多い
- 感情的な物を除いて考えてみても、共感部分が分からない
それに対して、意見を言うというのはこちら
- 理論的に説明が成り立っている上での発言
- 多くの人から見て共感できる部分が少しは絶対にある
よく口が悪いが故にマウント屋さんだと言われてしまう人もいるが、物事の会話は基本的には感情的になったほうが負けなので例えカチンとしても感情を抜いて考える思考があった方が自分の成長に繋がりやすい。
マウントを取る人はスルーしても全く問題がないのだが、意見を言ってくれた人を切ってしまうと人生損をする事が多いのでしっかり見極める方が人生特をする。
まとめ
先日、マウントを取る人の相談を受けて消耗している人って多いんだなぁと改めて実感した。
マウントを取る人の対処法で一番おすすめなのは無視。
マウントを取る人の行動の起点は承認欲求や劣等感なので、相手をすると承認欲求を満たす機会を与えてしまい相手の思うツボだ。
すると、結局は行動が加速するだけなのであまりメリットがない。
心優しい人は「でも、本当は悪い人じゃないし」と言いがちなのだが、そもそも極悪人に合う方が稀なので『悪い人じゃない』『本当は優しい』はほとんど誰にでも当てはまる当たり前なものなのでそこまで気にしなくてもいいように思う。
一番避けたいのは、マウントを取られたからと言ってマウントを取り返すことにエネルギーを費やしすぎてしまう事。
私は人生は程よく適度な人間関係で、楽しく生きようと思う今日この頃だ。