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これからの学校教育には『演劇』を必須科目にすべきだ

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豆乳に青汁は最強コンビ。グリーンスムージーに愛されたい女セトセイラです。
 
 
突然だが、私は日本の学校教育に甚だしい疑問がある。
 
 
以前『『いじめ』はどこでもおこる』『学校は必ずしも、行く必要がないという話』にも書いたが、私は小、中、高とあまりいい想い出がない。
 
 
 
このような公共の場で大々的に悪口を書かせて頂けるなら、Facebookで『〇〇校メンバー最高↑↑❤︎』という投稿が流れてくる度に私は突っ込みを入れたくなる。最高なのは〇〇校なのではなく君の周辺だけだ、なんてどうしようもない事を思ってしまうのは紛れもなく同じ学校名にいい想い出がないからだ。
 
 

先日、不登校の経験を経て起業した小幡和輝くんが執筆された本をやっと手に入れ読了した。

 

 

直接お会いした事は全くないが、私は和輝くんの活動や文書に興味津々でよくチェックさせて頂いている。そんな、和輝くんの本『不登校から高校生社長へ』を読んでの感想を交えながら私の考える日本の教育について書き記そう。

 
 
 
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・学校と、ストーカーと、私の青春

 
 
まずはじめに。私は、不登校になった事は人生の中で一度たりともない。だから、厳密に言うと不登校になった子や現在進行形で不登校な子の気持ちは逆立ちしても正確に理解する事はできないだろう。
 
 
私は、良くも悪くもメンタルが異常に強かったのだと思う。
 
 
『いじめ』はどこでもおこる』の記事にも記載したが、私は小、中、高といじめにあってきた。『不登校から高校生社長へ』の小幡和輝くん×河合未緒さんとの対談にも記載されているが女子特有のいじめというのは周りからは分かり辛い。(※私は、中、高と女子校育ちです)
 
 
女子特有のいじめで暴力的な目に見えるいじめではなく、わかるかわからないかのジワジワ精神的に追い詰めていく感じで、ちょっとノイローゼ気味になりました。
 
引用  不登校から高校生社長へ
 
 
女子のいじめは基本的には、悪口、無視、ばい菌扱いなど第三者がツッコミを入れればなんとでも『言い訳ができる不確かな』もの。目に見えた暴力が行われにくいのが特徴だ。その為、本人達がいじめだと自覚していない場合も多い。
 
 
私にもそんないじめを受けた経験がある。しかし、私の過去の記憶ではいじめよりも心を抉ったものがある。
 
 
それは、ストーカーだ。
 
 
ストーカーと言っても、私がそう呼んでいるだけなので皆が思い浮かべるようなものではないかもしれない。中学の頃、私は1人の女の子に異常に愛されていた。当時彼女から受けていた事は以下の通り
 
 
  • 毎日下駄箱に『好きです』の手紙
  • 毎日何十通もの『好きです』のメール
  • 毎日5分に1回電話がかかってきて、多い時には70件近くにも登った
  • 私が少しでも他の子と話をすると『セイラの隣に居るべき人は私だ』という内容の手紙を送りつける
  • 私が彼女に対してしんどそうな顔をすると『嫌われた』と登校拒否になり学校側から毎度怒られる
 
 当時のエピソードでこんなものがある。私はある日、授業と授業の合間の10分休みに居眠りをしていた。すると、次の授業中彼女が泣きながら教室を飛び出して大問題となった。その後、学校に呼び出され、話を聞くと「〇〇さんはセトさんが私の事が嫌いだからわざと狸寝入りをして私を避けると言っているわ。どうしてセトさんは毎度毎度友達を大切にできないの?」と怒られた。
 
 
そして、笑顔で「すみません」と謝った。
 
 
私は、中学の時が一番生きている実感が持てなかった。何度も学校に行きたくないと思ったが、受験をして入った私立だったのもありとても親に学校が嫌だなんて性格的に言えるような子ではなかった。
 
 
 彼女が周囲に送りつける手紙のおかげで、私には友達と呼べるようなふざけ合ったり笑いあえるような心許せる友達はできなかった。勉強にも興味が持てず、私の唯一の楽しみは漫画を読む事と、絵を描く事。そして全く知らない人と夜な夜なチャットをする事だった。
 
 
▼当時書いたイラスト。がっつり美少年系(懐かしいなぁ…)▼
 
 
 
学校に少しも楽しみを覚えず、勉強も好きになれず。しかし、そんな自分の心の内が滲み出ると彼女は登校拒否になり、先生から呼び出された。「どうして、セトさんは友達を大切にできないのか」と毎度責められ、私は笑顔で変わらずに「すみません」と言う日常だった。
 
 
できる限り、彼女とスムーズに学園生活を送る為に私はいつも彼女に最大限の優しさと笑顔で接した。
 
 
 その度に、私の心は壊れていった。
 
 
生きている楽しさが分からなくなり、感情が凍った。他人からはとても『明るくて面白い子』という評価は何一つ変わらないまま、私は嘘をつく事が上手くなっていった。
 
 
 
気付けば、私は夜な夜な未解決事件や過去の凶悪事件を調べたり、自殺して死んでいった子達のデータ集を調べるようになっていた。死ぬ勇気は全くなかったし、死のうとも思わなかった。でも、死を疑似体験する事で私はワタシを保ち続けていた。
 
 
 
 
頭ごなしに怒る大人達に絶望した。
 
 
 
学校は所詮、無意味な承認欲求の塊を持った奴らがマスターベーションをしている事を正当化するためだけにあると思っていた。
 
 
 
それが私の学校時代である。
 
 

・当事者には逃げるという選択肢は存在しない

 
 
不登校になる子達の理由は様々だろう。
 
 
和輝くんは、本の中で最初不登校になった理由を本の中で以下のように語っている。
 
 
自分はもっとこれをやっていたいのに、周りの人に合わせないといけない。決められた時間に決められた行動をさせられる。それが嫌でたまに休んだりしていた。
 
引用  不登校から高校生社長へ
 
 
 本当に、理由は様々だ。私は、和輝くんのこの理由を知って瞬きをした。なるほど、こういうパターンもあるのか。
 
 
不登校の子や今いじめに悩んでいる子に、綺麗な言葉で『頑張らなくてもいいんだよ』なんていうのは本当に簡単だ。でも、私がそうであったように当事者は逃げるという選択肢をなかなかとれない。その事で苦しんでいる人も多い。
 
 
子供はこれまでの経験値や、財力のなさ、体感として得られる経験値も限られやすい。
 
 
その為、余計に『皆んなが普通にやっている事』や『親の顔色』をどうしても伺ってしまう。そして、上手にクリアできない自分が世の中のお荷物であるかのような気分になる。
 
 
「なんとか、目の前の事を皆と同じようにクリアしなければ」
 
 
子供ながらに考えて、我慢を覚える。その結果自分の首を絞め、どうしようもなく八方塞がりになってしまう。
 
 
この問題を解決する為には、周りの環境がキーとなる。自己肯定できる場所が一つでも存在すればいい。
 
 
しかし、親にとっても全くない経験値を突きつけられて大パニックである事が大半だ。『どうしてうちの子は普通に学校に行ってくれないのかしら』の思考にハマってしまって抜け出せなくなる。不登校の子供達に必要なのは、自己肯定できる『居場所』。
 
 
 
頑張らなくても、いいんだよ。
 
 
 
それを伝えるのが何より一番難しい。
 
 
 

・学校教育において演劇は必須科目にすべきだ

 
 
 
私は、普段女優タレントをしている。実は私はストーカーやいじめの経験を経て、演劇という世界に出会ったのだ。
 
 
演劇、というとどんなイメージだろうか?
 
 
嘘をついて自分を演じる、なんて思っている人が大半だろうがそれは全く違う。演劇とは、コミュニケーションの集大成だ
 
 
私はこのコミュニケーションの基礎を根本としている演劇こそ今の学校教育に必要なのではないかと思っている。例えば、演劇を学ぶ上で『シアターゲーム』と呼ばれる基礎レッスンがある。
 
 
俳優としての様々な技能を伸ばせるものです。 シアターゲームでは、ゲーム感覚で演技に連結する効果を狙うとともに、俳優としての技能を高めます
 
 
 
基礎、というと聞こえはいいがシアターゲームは簡単なようで本質はとても深い。シアターゲームをただのゲームだと勘違いしている人をよく見かけるがシアターゲームの本質を理解していない事にはお芝居は成り立たない実によくできた遊びである。
 
 
シアターゲームで最も重要なポイントは複数との呼吸の合わせ方。一つ例を挙げると、有名なシアターゲームで『ZIP ZAP』というものがある。
 
 
団体によって多少異なるがルールは至って簡単。円陣を組み、右の人回すときは右手を右の人に向けて『ZIP』と言う。左に回す時は左手を左の人に向けて『ZAP』と言う。そして、両隣以外の人に回す時は両手で回したい対象者に向けて『ボーイング』。この3パターンをランダムに繰り出し、リズムを崩さないようにどんどん投げていくゲーム。第三者に渡す時は必ず、相手の目を見る事を絶対のルールとする。
 
▼手っ取り早く『ZIPZAP』の動画はこちら▼
 
このゲームの本質は、複数の人の動きを同時に予測する事や、他者が発しているリズム感を自分に取り入れる事。そして、人とのコミュニケーションの際に相手が受け取りそして投げやすい合図を送る事だ。
 
 
役者としては、基礎中の基礎だが案外こういったゲームを素人の人がやると自分が勝つ事に重きを置いてわざと相手が失敗しやすいフェイント的な雑な合図を送りがちだ。
 
 
しかし、このゲームの真髄は勝者を出す事ではなく集団として『続ける事』にある。
 
 
これはほんの一例だが、演劇の基礎はどれを取ってもコミュニケーションのとても大切な要素が詰まっている。
 
 
 社会に出る為には、コミュニケーションはどこに行っても必要不可欠だ。コミュニケーションさえどうにかなればぶっちゃけ幾らでも生きていける。しかし、日本の学校教育というものは教科書と睨めっこして、人間関係やコミュニケーションをしっかりと教えてくれることはない。
 
 
挙げ句の果て、憶測で大人達が口を挟んで子供達の心に圧をかけてしまいやすい。私は、この時期に演劇に出会ってたら絶対に救われたと思う。
 
 
そもそも『コミュニケーションの真髄』や『他人とは』『自分とは』という事を先生達が知らなすぎる。それで、安易に子供達に関わるのは如何なものではないだろうか。その結果誰が決めたかもよく分からない一般的な価値観という名の『マニュアル』が思考能力を奪い、時には考える力を奪うのではないだろうか。
 
 
演劇では、コミュニケーションの基礎はもちろんの事、自分自身を見つめる芸術だ。
 
 
人の気持ちだけでなく、大衆の中での自分のあり方、自分自身を見つめなおすきっかけにもなる。これからの時代には、知識ではなくもっと『人間だからこそ』使いこなせる感性を学校では教えるべきだ。
 
 
 
ちなみに、私が学んだ演劇の基礎レッスンでお気に入りのものは多々あるが中でもおすすめしたいものはこちら。
 
 
 
【自分として、存在するレッスン】
 
〜ルール〜
 
  • 客席と舞台でその空間を分け、1人だけが舞台に登場する。
  • その他の人は全員客席側からその登場人物をただひたすら『普通に見る』事に集中する。
  • 舞台に登場した1人はそこで、けして何もしてはいけない。ただ、その場に存在する。
このゲームは、ものすごく簡単なルールだがものすごく難しい。大半の人は『何かしなければ』人前にいる自信を失ってしまうのだ。顔がこわばったり、やたらニヤニヤしてしまったり。何かギャグをしてしまいたくなったり。人は、人に分かりやすい評価をその場で実感として受けていないと承認欲求が満たされないのだ。
 
 
それを回避する為のレッスン。
 
 
このゲームの真意は、自分で自分を本当の意味で認めてあげられないと成立しない。
 
 
 
私はここに『演劇』というジャンルを、教育科目にも、教員免許習得にも必須項目にすべきだと是非とも提案したい。
 
 
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