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仕事を一緒にやる時に、注意した方がいい人の特徴

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好きな異性のタイプは、知的な人です。セトセイラです。

 

突然だが、少し前に開催した私主催のおむすびワークショップがある。このイベント自体は大成功したのだが、イベントを開催する前に人と何か企画をやる事に対して考えさせられるような事件が起こった。

 

簡単に説明すると、一緒にイベントをやる予定だった人がお客さんがすでに何人か入っているにも関わらず私的理由で直前に『辞めます』と言って辞めた事。もっと詳しい内容を知りたい人は有料noteにて公開しているので気になる人はこちらを見てみてほしい

 

主観的な怒りはnoteにて記載したので、今回は客観的に思った事を記載しようと思う。

 

・「私は今会社のせいで病んでます」って人いくらなんでも多すぎじゃない?

こんな事を書くと、また色々と荒れた人に絡まれそうだけれどもSNSを見ているとこのような人種にめちゃくちゃよく会う。

 

「会社のせいで鬱になって休業中です」

「会社内でパワハラ受けてます」

 

いや、それはそれはとても大変ですねとは思うのだけれどもなんだかあまりにも多すぎる気がする。

 

世の中は、このような弱者に対して「貴方は何も悪くないよ、悪いのは会社よ。環境よ。」なんて大多数の人が言うけれども、果たして本当にそうだろうか。

 

私の中にはずっとそんな疑問があった。

 

パワハラは良くない。セクハラも良くない。ブラック企業は良くない。そんなテキスト通りの言葉は、ある意味正しい。でも、そんな雑な話ではないはずだ。

 

人に会社の文句を言う事で、マウントを取りたいだけなのでは?という人はとても多い。

 

最近のこのような流れは救急車と似ている気がする。救急車が誕生してから、声を上げるハードルがとても下がった。それはいい事だ。しかし、

 

「私病気です!」

 

と人を巻き込むようなレベルではないのに大きく騒ぎ立てて、本当に困っている人が少し埋もれてしまっている。

 

・実体験から考える、環境からの学び

私自身の話になってしまうが、私は中高時代いじめやストーカーに合っていた。詳しい内容は、私の自分史を私がつらつらと綴った記事があるので是非とも空いた時間にでも読んでほしい。

 

私は当時あまりに言葉がお粗末だが、世界を心の底から憎んでいたし、世の中の人は全員死んだ方がいいと思っていた。人間という生き物はなんて汚くて醜いのだろうかと心の底から思っていた。私は病んでいたのだ。

 

しかし、そんな私の病みを180度変える事件が起きた。

 

学校1の荒くれ女が突然私の前にやってきて、当時私の事を虐めていた子のノートを目の前でビリビリに破いて去って行った。

 

彼女のその行動で、私の世界は救われた。

 

普通だったら「こんな事したら先生に怒られちゃう!」と躊躇う行動だ。誰がどう考えたって、無関係の人が急に人の私物を破損するのは悪い事という認識があるのでなかなかできない行動だと思う。

 

当時の私は、彼女のこの行動で気付かされた。私はずっと、当事者であるにもかかわらず「あいつらが悪い」を言い訳にして声をあげようとも変わろうともしていなかったのだ。行動できない自分を、ずっと正当化していたにすぎなかった。

 

理不尽な事があったのなら声を上げれば良かった。

苦しかったなら、そう声を上げれば良かった。

 

ただひたすら「私はこんな酷い仕打ちを周りから受けています。私ってかわいそうでしょ?」という正当化を盾に「あいつらは、人として最低でしょ?」と心で言う事でマウントを取った気分を味わっていたのかもしれない。

 

でも、その本質は「1人じゃ何もできないくせにあいつらだせぇ」なんて思いながら1人で戦うのが怖いだけだった。この世の中で一番恨んでいた奴らと全く変わらない。私もまた、醜い人間。

 

これが、私が今まで生きてきた記憶の中で1番恥ずかしかった記憶。

 

話を現代に戻そう。私は会社のせいで病んだという声や会社の愚痴が多いSNSの人を見ていると、心がざわざわとする。もちろん、悪質な対応や企業の体制の悪さは絶対にあるのも分かる。しかし、それを選んだのもその環境に居続けているのも自分自身で決めた事の筈だ。

 

「自分は可哀想だ」と大きな声で言っても仕方がないないのではないだろうか。

 

問題は、起きてしまった現実に対してどう対応するかだ。SNSや愚痴る労力の前に、もう一つ何かアイディアが浮かべられる気がしてならない。

 

・私は、環境のせいにする人とは仕事をしたくない

先日開催した、おむすびワークショップ。後日、一緒にやる予定だったが直前に飛んだ2人の共通点からの学びを考えてみた。出来事は学びに変えていかなければ面白くない。

 

その結果、私の思った事は『普段から、環境のせいにする発言が多い人は要注意』という感想を持った。

 

組織に依存しすぎる人は、価値観がとても『普通』だ。故に、想定外のことに対して自発的に対応ができないんだなと感じた。0から始める為には、アクシデントを楽しめくらいの人でないと叩き合いの関係になりやすいのかもしれない。

 

人間、誰しも生きていれば愚痴は沢山生まれる。しかし、普段会社やコミュニティの愚痴で話を盛り上がらせた後が別れ道だ。その後普段から「こうしたらもっと〇〇は良くなる!」と未来への提案で会話が盛り上がる人がいい。

 

飲み会などの場で愚痴で盛り上がる人は難しい。なぜなら、思考回路の根本が他人事だからだ。愚痴を言うの自体は問題ないが、愚痴が愚痴で終わる人は一緒に仕事をするのは今度から立ち止まる事にした。

 

ましてや、先程あげたような会社を辞めた理由や現在自分が不調子な理由に「会社のせいで病んでます」系の事を口にする人は現在のメンタルが大変なのは分かるが、その経験故にメンタルが引っ張られやすいように思う。

 

・誠実さに欠ける人かどうかは、誰しもが持ち合わせている引き出し

私からしたら、今回のイベント直前に飛んだ2人は不誠実以外の何者でもない。しかし、この2人が特別に信用できないか聞かれるとそういう訳ではない。

 

人は誰しも不誠実な引き出しと誠実な引き出しを持っている。もちろん、私も。

 

では、その不誠実な引き出しを人が開ける時というのはどういう時だろうか。その条件は人によって違うだろう。ただ共通点はある。それは。その人にとって気持ちよくない事が起きると人は簡単に不誠実の引き出しを開けるのだ。

 

じゃぁ、人が気持ち良くないと思う事をすればいいと思うかもしれないが明らかな『悪い事』でもない限り全員の好みに合わせていては消耗するのがオチだ。

 

というか、だからこそ人には合う合わないという言葉が存在しているのだ。じゃぁ、その中でも一緒に仕事をしたいと思えるような人はどんな人なのか。不誠実な引き出しを開かない人はどんな人かを考えたら、その中の答えは

 

圧倒的に、好奇心が強い人

 

だった。ちゃんと疑問を次々と口にして思考力ゲームができる人。成長意欲がある人。あと、当然だが関係が薄い人との0からの企画はやらないという事。

 

・・・って、なんだか小学生でも習う「知らない人には着いて行ってはいけません!!」を改めて実感した。私の場合、SNSから仕事になって初めましてからオンラインのみで完結することも多々ある。

 

でも、それは相手かこちらに主導がある場合。

 

私はそんな仕事を繰り返していたから、感覚が麻痺して立ち上げを同等の立場でやってしまったように思う。

 

・まとめ

今回の事件を経て、私は仕事に対する見方がまた一つ勉強になった。

 

私は、役者を始めた時にこう結論付けた事があって、それは『最終的には、人間力が勝つ』だった。

 

仕事のスタイルや、人間性は普段の言動からある程度推測できるもの。人のふり見て我がふり直せ

 

私も日常的に気を引き締めていきたい。

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