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人が人を攻撃する心理を紐解く。アンチの心ってどうやってできてるの?

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今年も残すところあと僅か。本日も、amazonほしいものリストから支援頂きましたセトセイラです。
 
 
今日は、久しぶりにコミュニケーションに関する記事を書こうと思う。最近私のブログを読み始めたぞという人はあまり馴染みがないかもしれないが、実は私は旅、日常、ジャンル以外にも『コミュニケーション』に関する記事を書きたくてブログを始めた。
 
 
そして、本日書く内容はズバリ『人が人を攻撃する心理』について。
 
 
以前、当ブログにこんな質問を頂いた(※現在は質問、お悩み相談は受け付けておりません)。
 
 
『セイラさんのメンヘラに関する記事大変興味深く思います。そこで質問です。メンヘラに限らず人が人に対して攻撃的になる心理を教えて下さい』
 
 
 
すごく難しい質問だなと思いつつこの答えには私は心当たりがある。ちょうど昨日私が毎日配信しているSHOWROOMでちょっとした『騒動』が起きたのでその話も含めてご紹介しよう。
 
 
(※この記事はあくまでも私、セトセイラの人生経験により持った価値観を記載している。その為、心理学などの専門学をベースに展開してはおりません。そして、内容的にかなり過度な表現が含まれるのでご了承ください。)
 
 
 

・SHOWROOMに現れた、アンチとの会話

 
私は現在SHOWROOM配信を毎日行っている。(セトセイラのSHOWROOMはこちらから番組登録してね♡
 
 
そもそも『SHOWROOM』って何?という人もいると思うのでここは簡単に動画配信とだけ説明させて頂こう。もっと詳しく知りたいという人はぜひ『『人生の勝算』を読んで、D役者が思った事』の記事もチェックしてほしい。
 
 
とにかく、そんな毎日配信をしている私のSHOWROOMで12月25日のクリスマスに配信した回に、何やら不穏な空気が流れたのでこの場を借りてご紹介させて頂こう。
 
 
クリスマスに遊びに来ていたリスナーさんが、何やらセトセイラの生き方が気に食わないらしい。いわゆる、アンチというやつだ。
 
 
ここで言うところのセトセイラの生き方というのは、【現在人の支援で生きている事】や、【一般企業に就職もせずに自由人をやっている事】、そして、【いい歳こいて夢を追っている】という生き方の事だ。(※セトセイラの生き方に関する記事は『SNSを駆使して、5ヶ月。ぶっちゃけ稼ぎは?【私の得た信頼の話】』『私は今amazonほしい物リストで生活しているという話』『役者・タレント志望こそ絶対やるべき!!SNSで自分を発信しよう!!』などをご覧いただきたい)
 
 
 
 
そのアンチによるコメントをまとめると以下の通り。
 
 
  • 27歳にもなって、大して有名になれてないくせにいつまで夢を追ってるんですか?
  • 収入0円だったら、バイトでもなんでもして働けよ
  • 人から支援受けるコジキ生活とかまじない
  • 夢見てないで普通の会社に就職しろよww
  • 悔しかったら全国区のドラマとか出てみろよwwwそしたら菓子折り持って謝罪してやるからwwwww
 
 
ふむ。なるほど。言い分はよく分かった。
 
 
 
・・・で?私に何を言ってほしいのか正確な日本語を使って教えてくれないか?
 
 
そもそも、大前提なのだが私が何を言えばこのアンチが納得するのかという事があまりに不明瞭すぎる。例えるなら、道端を歩いていたら下半身を露出した男がどや顔で陰部を私に見せてくる光景となんら変わりがない。
 
 
私が、たじろいだり反発すれば満足なのか。それとも、私が人生を見直せば満足なのか。その答えが、後者だったとして、じゃぁ私の人生を根こそぎ変える程の全責任を持って私の面倒を生涯見てくれるのだろうか。
 
 
私はどんなに土下座されても、人生の結婚相手は自分で選びたいのでこのアンチさんに人生をお預けするには気が進まない。
 
 
 
…つまるところ、何を申し上げたいかと言うと人の人生に影響を与えられるという思い込みが激しすぎないか?
 
 
 
という結論に至った。
 
 
端から突っ込みを入れさせて頂けるのならば、『27歳にもなって』という年齢の基準値はどこの統計から持ってきた結果の『にもなって』なのか不透明だし、『有名でもないくせにいつまで夢を追っているのか』というのもそもそも私は有名になる事を目的に芸能の仕事はやっていない。『収入0円ならバイトしろ』に関しては、収入0円の人がバイト以外の方法で稼ぐ方法がないというのもひいき目に見てもあり得ないし、『人から支援を受けるコジキ』の下りも個人の感情的な話でなんのロジックも成り立っていない。『普通の会社』の『普通』という言葉のソースを仮にご自身の人生観だとしたら、地球上の人口に対してかなり信憑性が低いソースだし、『悔しかったら、全国区のドラマに出てみろ』というのも、芸能をやっている人の目標?が全国区ドラマというのも初耳だし、悔しい感情を少しも抱いていない私の現状的に、もはやこのアンチが誰と会話をしているのかがよく分からない。新作映画の台詞の練習と考えた方が妥当だ。
 
 
 
とりあえず、一貫していえる事は、全ての言い分のロジックが少しも成り立っておらず、ちぐはぐしている。よって、このアンチの会話の本質は『セトセイラを否定する事』という事に集約された。
 
 
 
一応念押しで言わせて頂くと、私は少しも怒りの感情も悲しみの感情も抱いていない。この論争に関しての本質は、以前書かせてもらった『就職したこともない私が、某慶○大学生にアドバイスをしてきた』に書いてあるが
 
 
 
分かりやすく例えるなら、魚に向かって「お前まじ喋れないのとかダサいな!!うわキモっ!!」というレベルで本質がかみ合っていないのだ。
 
 
 
まず、どのジャンルにおいてもコミュニケーションのベースは最低限の本質がかみ合っていないところでは成立し得ない。俗に言う、「この人日本語が通じない」と同じ言語なのに言われてしまうやつだ。
 
 
 
という訳で、私はSHOWROOMの配信中、根本的に本質がかみ合っていない事に気づいていない人と会話を成立させるのが私の現状のトークスキルではうまくできず反省をしていた次第だ。
 
 
 

・人が人を叩くアンチの心理

SNSが盛んになった今日。『アンチ』なんて言葉を耳にするだろう。普段積極的にSNSを利用して発信している人は何となくイメージが沸くと思うがネット社会はとにかく『攻撃的』な人が多い。
 
 
でも、日常でもやたらと人に対してあえて角のある言い方しかできない人や、強い言葉で息をするような感覚で人を傷つける人は皆さんの身の周りにも1人くらいは心当たりがあるだろう。(※ここでは、悪気のない人はカウントしないものとする。)
 
 
ちなみに余談だが、この場を借りてはっきりと申し上げさせて頂くと、私はデリカシーのない人間と頭の悪い人間が大嫌いだ。
 
 
そもそも私の見解では頭が悪い人程感情論を並べて会話を進める傾向にある。人が人に対して攻撃的(言葉で)になる条件は2つしかない。
 
 
  • 自分の頭が全く追い付かないような事態や出来事が起きた時。(=対処方法が分からず動物的に感情を爆発させるという手段をとる)
  • 自分の人生や価値観を否定されたような気分になった時(※威厳を持つために暴力的な言葉を使う人がいるという意見が聞こえてきそうだが、本質的な部分は自分が否定されてる気分になるというところに繋がるのでこの2つの条件に絞らせて頂く)
 
そもそも、この条件を理解していないと、その場面によっての本質がなんだったのか自分で分からなくなる。その為、パニックを起こして感情論にすがる事で自分という人間の価値を守ろうとするのだ。
 
 
基本的に不必要に攻撃的な人や感情的な人は、自分自身の事を言語化できるレベルで理解できていない可能性が非常に高く場面によっては会話を成り立たせるのが非常に難しい。
 
 
と言っても、自己分析ができていない人の方が世の中には圧倒的に多いのは確かだ。しかし、反対に考えれば感情がぶわっと出てきた瞬間ほど自分という人間を知れるチャンスでもある。人の事を気にする前に自分の事に興味を持った方が今後色々な場面においてスムーズだ。
 
 
そして、こればかりは本当に申し訳ないのだが感情論を爆発させている人を見ると私は「私は馬鹿です!!!」と、ものすごい大きなサウンドで言われている感覚に陥るので純粋に引いてしまう。
 
 
 
……さてさて、以上の事を踏まえて人が人に攻撃的になる瞬間は大半が『自分を否定されたような感覚に陥る』という理由ではないだろうか。今回のSHOWROOM配信で起きたアンチ騒動をサンプルにするなら、詰まるところこのアンチが言いたいのはこういう事だ。
 
 
 
「俺は、就職して普通に生きてきた。誰に助けられる事もなく、自分のケツは自分で拭けるし、自分のの面倒も自分で見られる。どうだ、偉いだろう?なのに、お前は何の努力もせずに、人に依存して自分の人生に責任も持たず夢を追っているとかほざいて笑ってんじゃねぇよ。今まで努力してきた俺の人生馬鹿にしてんのか。コルァ。」
 
 
 
【解説】
「俺は、就職して普通に生きてきた(それしか道がないと思って、生きる為になんの疑いもなく皆やっているから俺も就職して頑張ってきた)。誰に助けられる事もなく、自分のケツは自分で拭けるし、自分のの面倒も自分で見られる(俺が教えられてきた『大人』って言葉の意味は全部自分でできる事。これだろ?だから俺は立派な『大人』だ)。どうだ、偉いだろう?(皆やってることを俺も同じくやり遂げたぞなのに、お前は何の努力もせずに(俺はやってきたのに)、人に依存して(人に支援貰って?はぁ?なんだそりゃ?俺は貰ったことないぞ。俺の人生支援受けてないぞ!?)自分の人生に責任も持たず(生きる為に皆やりたくもない仕事するのが普通だろ?それが大人としての務めだろ?だって皆やってるし)夢を追っている(俺やりたい事ないし、夢とかなくても生きてけるよだって)とかほざいて笑ってんじゃねぇよ(やりたい事なんてできないのが人生じゃなっかったの?皆そう言ってるよ?自由に生きて楽しそうとかマジムカつく)。今まで努力してきた俺(だって人生の道って『普通』に就職するっていう道の一つだったんじゃないの?)の人生馬鹿にしてんのか(俺が今まで努力してきたのが馬鹿みたいじゃんか)。コルァ(俺の知らない世界なんて認めねぇよ)
 
 
 
 
要約すると、「皆がやってる事が正しいと信じて努力して来た俺の道を否定されている気分になるので、あなたを否定します。」という感情論が見えてくる。
 
 
しかし、実際には否定されている訳でもないのに否定されていると思ってしまうその心理は『自分の人生の価値を、世間的に「『普通』に認められる人生ですね」と人から評価される事でやっと価値を見出す事ができる』という言葉が最も正確なのではないだろうか。
 
 
 
 

・私が自分を傷つけてきた過去

 
人が人を攻撃する心理は、詰まるところ自分自身が自分自身の良き理解者でない事にある。
 
 
自分という人間の存在価値を他人に委ねて生きているのだ。そして、そんないわゆる『世間一般的』といわれる人達が大切にしているものの正体は紛れもなく『過去』なのではないだろうか。
 
 
『自分がそれによって楽しんでいるか』という、今この瞬間の自分ではなく過去の「努力してきた自分」に目を向ける事により、世間の目に怯えている。
 
 
第三者が本当の意味で人を評価するのは多くの場合『人の過去』だろう。だから、世間一般という目を気にしながら生きている人は決まって『功績』や『結果』を大切にする。過去だけが、人の評価だから。そして、過ぎ去った過去はやり直せないからこそ『間違っていなかった』と自分に言い聞かせたい願望を強く持って生きている。
 
 
 
間違える事にひどく怯えているのだ。でも、そもそも何をもって『間違い』なのだろうか?
 
 
 
ここで突然だが、私の話をしよう。私は、過去にどうしようもくこの世の中の人間が例外なく皆大嫌いだった中学時代がある。過度な言葉になるが、一人残らず死ねばいいと思っていた。そんな中で、特に嫌いな人がいた。
 
 
その私の嫌いな人は、いわゆる自由人。学校にも気まぐれにしか来ない。テストも白紙。人から喋りかけられると「気やすく呼ぶんじゃねぇよ」と怒り、喫煙や飲酒で退学処分を食らっていた。
 
 
当時私はいじめにあっていて、(※詳しくはこちら『いじめ』はどこでもおこる)とにかく自分の中では世間に対して『どうせ私が何を言っても無駄だ。誰も耳を傾けてくれない』という思いが常にあった。
 
 
 
でも、ある日気付いてしまったのだ。なぜ、私が彼女の事が大嫌いなのか。
 
 
 
それは、『どうせ私が何を言っても無駄だ。誰も耳を傾けてくれない』という言い訳で何も行動できなかった自分を正当化したかったからだ。本当は、自分は幾らでも『声を上げる』という選択がとれたにも関わらず勇気がなくて行動の枠を超えられなかった。『誰も耳を傾けてくれない』というそれっぽい言い訳を盾にして動けない自分を正当化したのだ。
 
 
だから、人目を気にせずに自由に行動する彼女が特別にうらやましかった。
 
 
 
彼女を特別に嫌い、そんな彼女に特別に攻撃的な態度を向けた私の攻撃心理の正体は『自分のこれまでの行動線(=過去)を正当化する為に、彼女を否定する事』だった。
 
 
 
自分自身を本当の意味で肯定する事が出来ていれば、人に対して不必要に苛立ったりはしない。
 
 
 
だって、人は人。自分は自分だから重ね合わせるものではないと理解できるからだ。
 
 

 

・今、私は過去ではなく今だけを見つめている

 
 
 
 
私は今、自分の今やりたい事をやっている。
 
 
 
私の肩書は、女優・タレント・モデル・ブロガー。夢の為に環境を変える為、収入は0円ですが人の支援で生きている。
 
 
私は、人に認められたくてとか、食べていくためにとか、そういう理由で芸能活動をしている訳ではない。もちろん、結果的にそうなったらそれはそれで嬉しいが本質はそこにはない。
 
 
だって、本当に食べていきたいとか人に認められたいとかいうのが理由なら他の手段を方が圧倒的に効率的だ。それこそ『普通に』就職した方がいい。収入を0にしてでも今を変えたいという私の行動力は、『未来につながる今』しか見ていない。
 
 
 
ねぇ、教えて。皆さんの考える『普通』って何ですか?
 
 
 
『普通』という物差しは 時として、なによりも強い殺傷能力を持つ。だって、人は孤独を恐れるから、一人が怖いから皆一緒がいい。『普通』という言葉は、仲間である事を確認する合言葉なんだと思う 。
 
 
でも本来は『普通』という言葉は人それぞれ違う。みんながみんな、違う『普通』の中で生きているのだ。
 
 
この『普通』という言葉の罠にはまってしまうと世界は自分の中で完結してしまう。だって、自分の中にある『普通』って価値観は本当に狭いのだから。でも、世界は圧倒的に広い。物事の可能性も、人の種類も、生き方も自分が知らない世界の方が圧倒的に多いのだという事を忘れた瞬間想像力はどこまででも乏しくなる。
 
 
枠の外はあり得ない。枠の中で生きてきた自分を正当化するための攻撃魔法。それが、人が人を攻撃する心理の正体だ。もちろん、当初の質問の中にもあったメンヘラの人もそうだ。自分や人を攻撃する事により自分を正当化する為の攻撃。
 
 
 
そう考えると、想像力が乏しい人や情報収集力に欠けている人程人を攻撃する傾向にある。だって、他の可能性が考えられないから攻撃という手段しか思いつかないのだもの。
 
 
 
 それは、元々の性格なのかもしれないし、今の環境により思考回路が洗脳されているのかもしれないし、はたまた、経験値の浅さかもしれないし、自分の事を正確に理解していないのかもしれない。
 
 
 
 
 
 

・解決方法は発想力の転換

人からの評価に囚われてしまう人生は、他者と比較する人生を避けられない。

その為、人を見つけては敵だと思い込み人を攻撃する。自分という人間の存在価値を人に委ねないと判断できない為、実感が欲しいのだ。でも、自分の人生なのだから人に責任を投げるのではなく自分で自分を受け止めたくはないだろうか。

 

私は、『自分の基準値(私の物差しでの『普通』)』を正義だと唱える為に生きている。

 

人に判断を委ねたくない。だって、自分の人生だもの。何が正しいとか間違ってるとか、自分で体感して自分の目で見て自分でロジックを組み立てたい。

 

 

先日、私はとても大切な人を失いました。私が知ったのは、亡くなった後。遺言で全ての真実を知りました。詳細は書けませんが『最期にありがとうございました』の一言に涙が止まらなくて。

私は、一人でも私の価値観(私の物差しでの『普通』)に救われる人がいるなら充分だ。むしろ、充分すぎると言ってもいい。お礼を言いたいのは私の方だ。

そんな人が1人でもいるなら、私は自分に自信を持っていなければならないし立ち止まる事は出来ない。今も、これからも私の物差しでの『普通』という価値観で人が救われるなら惜しみなく差し出したいと思う。そして、自信を持って、自分の事が大好きだと大きな声で言い続ける。

 
 
人が人を攻撃する心理。もしかしたらそれは、他人事じゃない瞬間も沢山あるはずだ。かっとなってしまった今がもしもあったら、一旦立ち止まって感情論と事実の整理をしてみるのもいいだろう。
 
 
人と比較する人生って、悲しい。もっと、自分の事を好きになってあげてよ。認めてあげてよ。人を攻撃する事で、自分の立ち位置を守れるなんてことは全くないのにね。
 
 
自分の価値は、自分で決めろ。人にその責任を擦り付けるな。それに尽きる。
 
 
 
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